ASSERTION
– 表 明 –

「ジャグリング編纂計画」

人類の祖先は石ころを拾い、投げ上げ、受けとめ、それに喜びを覚えました。この行為それ自体が、ジャグリング、そしてダンスの源泉であるということに、私たちはとうの昔に気づいていたのです。

これから先100年の内で、必ず、ジャグリングという行為が、芸術の一分野として、音楽や踊り、絵画と匹敵する豊かな潤いをもたらす原初的な行為であると社会に認知され、その真価が証明されることとなるでしょう。さらに私は、巷でジャグリングと呼ばれるものとダンスと呼ばれるものの間には、未だ名前の付けられていない領域が確かに存在し、それがいずれ、一つのアートフォームとして独立した強度のあるものへと進化していくことを確信しています。これはジャグリングとダンスを繋ぐ計画であり、更に言えば、人類と物との関係を読み直す行為でもあります。

具体的に、私が注目していることの一つは、床に存在する物との関わりです。モノを扱うという行為=ジャグリングを始めるアクションには、その前提として、モノと”出会う”こと、そしてそれを”拾う”という行為が、必ず付随します。全ての物は重力に従い、それが落ちうる最低地点に収まっています。言わば床は、物の所在のゼロ地点であり、人体の所在もまた例外ではありません。床の上にある物と、同じく床の上にある自分の身体を繋ぐという行為こそ、ジャグリングの発端であり、すなわち、大地と関わらずしてジャグリングは生まれ得ないのです。

しかし、これまでのジャグリングの文脈では、こうした視点からの研究は、ほとんどなされていません。それは現在行なわれるジャグリングが、ヨーロッパやロシア、アメリカを中心に発展しているからだと考えられます。西洋文化は上空の空間を志向し、一方で、日本文化は大地を志向します。この思考を肯定する事例は、生活、思想、建築、舞踊あらゆる物事に顕著に見られ、枚挙に暇がありません。それは、西洋のジャグリングの歴史にも色濃く表れており、その西洋から輸入されたジャグリングの方法論は、天井の低い日本の建造物や、日本人の身体特性には上手く適合していないように感じられます。事実、近年の日本では、極端に上空を使用しないジャグリングが多く台頭し、独自の発展を遂げています。

日本人の身体に適したジャグリングとは何なのか。その根幹は床にあると、私は考えます。雑巾掛けや、和式トイレ、椅子のない畳部屋などを経験している日本人にとっては、馴染みのある中腰の姿勢ですが、モップや洋式トイレ、椅子の生活文化に生きる西洋人にとっては、特殊で不自然な姿勢と感じるようです。日本に西洋文化が流入した明治維新より、わずか150年程しか経っていません。今でこそ西洋式の生活に浸っている現代の日本人も、その身体には、畳で生活してきた、床と親しい民族の遺伝子を残しているはずです。床との親密性に関しては、明らかに日本人にアドバンテージがあり、この領域を発展させることは私の役割であると認識しています。

このトピックを始め、人間の身体そのものは、これからのジャグリングを実践する上で極めて重要な要素であると、私は捉えています。「人間がジャグリングをやるのだから、人間のあらゆる営みはジャグリングと無関係ではない。」このような途方も無い拡大解釈と、それに向かう情熱、うぬぼれにも近い使命感を持って計画実行へと踏み出します。

2015年10月9日 渡邉尚

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